学芸員という生き物について

博物館で生業を立ててる人のはなし。

民俗資料の「キワモノ」枠扱いをどうしたらいいのか

民俗分野・民具分野を専門的にやっている人間として思うんだけど、この分野の展示が「キワモノ」枠扱いされてしまうのを防ぐにはどうしたらいいだろうか。

 

考古資料何千年も前の土の中から出てきた!すげえ!

歴史資料ミミズみたいな字が読める!分かる!すげえ!

美術資料美しい!すげえ!
現代美術訳わかんないけどなんか楽しい!すげえ!

民俗資料なんやこれ使ったことあるわガラクタやん

     もしくは

     なんやこれ見たことない部品なんかなよーわからん汚いし

 

なぜなのか。

 

「使ったことがある」「身近にあった」「懐かしい」そういう感情と切り離せないものばかりで、最近は家電とか玩具の類が「懐かしい」枠で消費されがち。資料として位置づけるにはどうしたらいいのか。ほかの資料と同じように「すげえ!」がどうやったら出てくるのか。

「身近にあったのか!すげえ!」になるまでにはまだ時間が足りないのか。

だいたい、民具っていう言葉がもうイメージ固定されちゃってて、何かダメなんだよな。といいつつ、新しい言葉を作ったところでそれは「言い換え」なだけであって。根本的な問題の解決にはいたらないし。

 

どうしたらいいもんかなあ、いつもいつも考えている。