学芸員という生き物について

博物館で生業を立ててる人のはなし。

反応が見えにくい人との仕事——コミュニケーションの難しさと向き合う

頼りになるけれど、反応が少ない部下

現在、わたしのチームには、ある意味で“部下”のような立ち位置で仕事をしてもらっている方がいる。業務の指示を出せば、その通りにしっかりとこなしてくれるし、むしろ予想以上のスピードと正確さでタスクを完了してくれることが多く、とても助かっている。業務の遂行能力に関しては、申し分ない。こちらとしても安心して任せられる存在だ。

ただ、コミュニケーションに難しさがある

しかし、一つだけ気がかりな点がある。それは、「反応の薄さ」だ。Slackで指示を出しても既読か未読かも分からず、リアクションスタンプなども基本的に使わない。口頭で説明をしても、うなずきや相槌がほとんどなく、こちらとしては本当に伝わっているのかどうか、毎回不安になってしまう。

こちらの言葉がきちんと届いているのか、理解しているのか。そうした基本的な確認が、視覚的・感情的なリアクションによってできないというのは、思った以上にストレスを感じるものだ。もちろん、本人に悪気は一切ないのだろう。そういう性格なのかもしれない。ただ、それでも一言「了解です」や「見ました」のリアクションがあれば、こちらの安心感はずいぶん変わってくるのだが……。

話しかけにくさと、自分自身の葛藤

そんな彼女に対して、ちょっとした相談や気軽な話をしたいと思うこともある。しかし、いざ声をかけようとすると、「今は話しかけないで」というような雰囲気が漂っていることが少なくない。そのため、タイミングを逃してしまい、結局何も話せないまま時間が過ぎることも多い。

もしかするとこれは、究極的にはわたし自身の問題なのかもしれない。相手の空気を過剰に読みすぎてしまい、コミュニケーションの機会を自ら閉ざしてしまっているのかもしれない、とも思う。

また、もう一つ気になっている点がある。それは彼女の“集中力”の強さだ。非常に高い集中力を持っているのは素晴らしいことだが、昼休憩の時間になっても手を止めずに仕事を続けていたり、定時を過ぎてもこちらが声をかけない限り帰ろうとしなかったりする。その姿勢には感心する反面、「少し肩の力を抜いてもいいのでは」と心配になることもある。

どう向き合い、どう伝えるべきか

「もっと気楽に働いてほしい」「体調を崩さず、長く働いてほしい」——そんな思いを込めて何度か伝えようとしたこともある。だが、やはり反応が薄く、きちんと伝わっているかどうか不安なままだ。言葉を尽くしても、リアクションがなければ、その言葉が空中に消えてしまったような錯覚すら覚える。

それでも、少しずつでもお互いのスタイルや考え方を理解し合いながら、より良いチーム関係を築いていくことが大切だと思う。コミュニケーションにおいては、「自分の常識が相手の常識とは限らない」という前提に立つことが何より重要なのだろう。

きっと、これからも試行錯誤の日々は続く。でも、そんな中でも「相手の個性を尊重しながら、自分の伝えたいことをどう表現していくか」を考えることが、働く上での人間関係の核心なのかもしれない。