奈良県立民俗博物館が改装にあわせて資料をどうするかってのを首長クラスが言ってしまったもんだからさあ大変。たぶん現場は右往左往しまくって大変なことになってるだろうなと察する。この報道を受けて県民から電話も掛かってきているだろうし、もしかしたら寄贈したものを返してくれ、ていうのもあるかもしれない。
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原則、寄贈されたものは返さないてのがあるけど、どう判断が下されるのかはそれぞれだから何ともいえない。
現場の職員が大変そうだわ。
ただ、この手の問題はだいたい20年くらい前から言われていて、それに対して有効的な解決策があまりできなかったというのもまた事実であったりする。博物館の資料を使って回想法や何やらを展開する、ていう流れができたのはよかったけど、当時は新しかったけど今はマンネリ化している部分もあるし、あれは使い方というか、持って行く資料との相性が結構あるのも課題かと。
「その道具を知らなきゃ思い出したくても思い出せない」ていう単純な理由。町で育った人にクワを見せても、クワを知っていても使ったこと無かったとしたらそれに関する思い出とか出てこないわけで。
博物館資料の活用としてはいいなと思ったんだけどね。
で、今回あがった民俗資料って何が問題かっていうと、「同じものをたくさん集める」という特徴があるのよね。同じように見えるけどよく見たら違うとか、違う地域なのに同じ部分があるのはどうしてだっていう。そういう世界。クワにしてもスキにしても、その特徴が地域によって大きく変わってくるんだけど、それを見ていくためにはとにかくたくさん集めて分類して、ていうのが必要になる。
なんだけど、なんだけど。
専門じゃ無い人からいえば「ひとつだけあれば十分」みたいになる。だって同じ形、同じ機能なんだもん。似たようなこと、過去にいたところでも言われたよ。行政職の人が係長とかになると、専門的な話よりも一般論で否定されることが多かった。
でも、「ひとつあれば良い」という割には、抜けるのが「どれを残すの?」ていう観点。A地域のかB地域のか、と地域でセレクトするのか、単に資料状態の善し悪しで判断するのか。地域の小さな資料館ならまだしも、県レベルになるともう大変だよね。なんでその地域のは残してこっちは残さないのかとか、いろいろ言われることになる。状態がいいのはもしかしたら単純にあまり使われていなかったとか、土が軟らかい地域で道具に対してのダメージがあまりなかった、反対にボロボロの方はずっと使い込まれていたとか、土が硬くて壊れたのを何度も直しながら使ったとか、そういう道具に関する情報とセットで考えないと意味が無い。
ていうややこしい話があるんだけど、そういうのはそっち、学芸サイドで考えてね、みたいなことになりがち。
投げられた球をどう返すかで資料の運命が決まるからものすごくしんどくなる。
こういうとき、考古学の遺物は良いなあと思う。だって、破片だからコンテナに収まるし、コンテナ積んでいれば一応整理されたように見えるから。
こういうのに入れて積んでおいたりする。正式名称はテンバコというらしい。
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民俗資料はそうはいかない。形が複雑だし、でかいし、嵩張るし。金属と木材とか複合素材でできているのも管理をややこしくしている。
一方で、実物が無くなってしまうと、当時の様子なんてのが分からなくなる。デジタル化や3Dスキャンして保存する方法もあるけど、「資料の真正性」みたいな部分とも関連してくるのでかなり難しい。絵画なら「やっぱホンモノだよね」みたいなことになるのにね。
それで、これからももっと問題になるのが、昭和40年代50年代以降の資料をどうするかってこと。わたしはこれらも大きく捉えて生活道具と考えて、民俗分野の人間が対応してもいいんじゃないかと考えている。
こういう雑誌見ても、いろんな道具があることがわかる。
で、家電製品とか身の回りの道具、モノなんかがたくさん出回っている時代の資料を、どのように収集・収蔵していくか。ヘタをすれば、この先「情報はあるけど現物が無い」なんてものが多数を占めるようになるかもしれない。
不要になった道具は捨てる運命なので。
「カモメホーム洗濯機」のような尖って時代を作ったもの(だけど主流になれなかったもの)はマニアや何かしらの経緯で残るかもしれないけど、そうじゃないごく普通の家電、主流になったものとかって果たしてこの先残るのだろうか。当たり前にありすぎて残らない気もする。
結局は、ほぼエンドレスに増えていくモノ資料に対して、どこでどう折り合いを付けるかって話。理想理念としては、自分が死んでも、数百年先の人間が「令和時代はこんな道具を使っていたのか」というのが分かるようにしたい。たぶんこれは博物館に勤める人間であれば同じようなことを考えている。次の世代に残していくには、みたいな。
でかい収蔵庫を作って終わりという話ではない。でかい収蔵庫を作っても、いつかそこは満杯になるし、そこをどう活用していくかっていうのも問題。作業する人間を増やすか?この財政難、人口減少の折に?非正規のフルタイム雇用という今の悪習を続けるの?ていうのとも関係してくるから、話は簡単では無い。
この先も各地で似たような「問題提起」がなされて、その後ひっちゃかめっちゃかになって、結局何も残らなかった、もしくは結局議論も進展しないまま(問題に目をつぶったまま)次の代に先延ばし、とかなりそうなのがちょっと怖いんだよな。
残す事を前提で、じゃあどうするかってのを考えたい系人間なんだけど、結論は簡単に出そうにない。