学芸員という生き物について

博物館で生業を立ててる人のはなし。

今ってテープ起こしがかなり楽になってるんだね…

タイトルのママ。

人力でテープ起こしをしていた人間としては、なんかもう未来だなあという感想しか無い。というか、未来だわ。

support.microsoft.com

Word(MS365)に搭載されているらしい。そんなの知らなかった。

ただしWindows版に限る、てのがどうもあれだけど、いずれMacの方にもやってくるでしょう。やってきて。というかつけて。

音声ファイルをアップロードすればほぼ自動で文字起こししてくれるのはありがたい。民俗学とかやっていたのであのインタビューを起こす作業ってのがどうもしんどいしめっちゃ疲れるし、で。その苦しさから解放されるのは大きな前進かもしれない。

もっとも、当然ながら完璧ではないのは知っているので、できあがったモノを見返して修正とかは必要だろう。話言葉を読み言葉というか、文章として読めるようにするにはもう一手間掛かる。これもなかなか大変だが、もしかするとこれもAIに「読めるように校正して」と投げると綺麗にしてくれるのかもしれない。

となると、ますます楽だなあ(無論、チェックは必要だけど)。空いた時間で考察まとめたり、ほかの情報を整理できる。いやはや良い時代になった。

???「機械が文字起こしした文章は心がこもってないからダメ!!」

…いやまさか、そんな批判とか無いよな…?

まあいいや。とにかくやってみよう。

【くらし】iPhone14に乗り換えた

とうとうiPhone8 PlusからiPhone14に乗り換えた。

約2年間使って買い換えれば残りの分割は払わなくても良い、というプランで買ったうえにもろもろのクーポンを適用したら200円台の支払いでいいことになった。マジかーすげーな。

ただし、23ヶ月目で返却する必要があるけど。これは忘れてしまわないように気をつけなきゃ。返却忘れて24ヶ月目になると残りをまた24回払いに分割しての支払いになるのだが、金額が一気に跳ね上がるのでマジでやばい。3000円とかもちょっと?

…そんな額も出せない自分が悲しい…

最新じゃないのが個人的にはちょっと辛いけど。ああ俺現行機買えないんだ…昔は何とか現行機(最新の)買ってたのになあ…なんてことも思ったりするわけだよ。なまじその時、つまりお金がある時を体験しているとよろしくないというのは本当かもしれない。

まあいいや。これでお金貯めたりなんだりして、その次に買うスマホをいいものにすればいいわけだし。

到着までが待ち遠しいのは久しぶりかもしれない。6年近く使ってたから大きな進化だと思う。とりあえず今の機種のようなもたつきみたいなのが無くなれば。

バージョンアップを続けていると、どんどんもたついてくるのがiPhoneのよくないとこだ。相変わらず「その他」項目もどんどん増えるし。そういうのが無けりゃいいのになあ。

まあ23ヶ月しか使わないのでアクセサリー類も最低限にして割と安いものを使うつもり。耐衝撃ケースは一応付けるけど、そのくらいかなあ。今後新機種に乗り換えると、この機種と後継機はサイズも違うしコネクター類も違うから、ケースから何から買い替えだもん。そこでまたお金使いたくないし。

とりあえず、到着を待つ。早く来ないかな。

早く過ぎ去ってくれねえかなこの高湿度デイズ。

この仕事は温湿度も結構、かなり、とにかく、気にする仕事です。

まあご存知の通り、湿度が高い我が国は特にこれからの季節は湿度まみれで大変なことになります。反対に冬は乾燥がすごくて大変、とかそういう問題もあるんだけど、それをいかにダメージ少なくするかってのが大事な仕事です。

空調があるから大丈夫でしょ?みたいに思うでしょ。そりゃね、24時間できるのが理想だよ。でも中には展示室の空調を閉館後にオフにせざるをえないとか、空調が付いてない収蔵庫とか、ほんとに千差万別なのよこのギョーカイ。空調付いてても正直大丈夫かな?とか思うところもあるし、結局最後は人の目と感覚で危険を察知するという感じかなあ。そういうのがすぐに感知できる設備があればいいけどね。それこそ館の予算次第なので。

あと、機械に頼りすぎると良くない、ていうのはある。それこそ、空調が効きすぎて外気温・湿度と差が出て結露が発生するとかね、そういうのも起こりうるので。空調付けたからあとはいいや、てできない。当たり前だけど。

だからピリピリしてんの。展示室の作品とか資料とかだけじゃなくて、壁紙とか床面とか、そういうのも「快適な展示観覧環境」を構成する大事な要素なので、たとえば湿度を含みすぎて壁紙たわんでないかとか、床面で結露していないかとか(雨で濡れたまま来られて床が濡れたりするケースもある)、まあとにかくそういうのも気になるよね。設備担当の人がいれば一緒に回ったりする。いない場合はもう学芸員で適宜巡回して、気づいたら対処する的な感じ。

…そういうのも仕事なんですよ。雑芸員的だけど。

でも恐らくそうやってウロウロしている学芸員は多いと思う。立派な設備があるところは分かんないけど。

で。今週の予報を見ていると雨はあまりふらない、お日様出る、でも湿度高い、というクソ仕様過ぎて「うぇえ」と変な声が出る始末。からりと暑いならまだしも、もあっと暑いてのはな…どうにかならんか…。

今展示しているのはアクリル絵の具で描かれた絵だからまあまだある程度強いかなと思うんだけど、それでも影響ないか心配で1時間に1回は巡回している。人間がいなくなった後の時間帯の方が心配ではあるが、こればかりはどうしようもない。存命作家なのでその辺確認したら「また修復するから大丈夫ですよ」という。ああもう、なんでご存命の作家さんはこう作品保護とかそういうのよりも「また作るから」「直すから」と言ってくださる方が多いのか。甘えるわけにはいかないので修復とかそういう状態にならないようにきっちり見ますから!と答えたけど、毎日ヒヤヒヤしているのも事実。

早く過ぎ去ってくれねえかなこの高湿度デイズ。

というそんな愚痴。

収蔵庫/収蔵資料いっぱい問題

民具学の基礎

奈良県立民俗博物館が改装にあわせて資料をどうするかってのを首長クラスが言ってしまったもんだからさあ大変。たぶん現場は右往左往しまくって大変なことになってるだろうなと察する。この報道を受けて県民から電話も掛かってきているだろうし、もしかしたら寄贈したものを返してくれ、ていうのもあるかもしれない。


www.youtube.com

原則、寄贈されたものは返さないてのがあるけど、どう判断が下されるのかはそれぞれだから何ともいえない。

現場の職員が大変そうだわ。

ただ、この手の問題はだいたい20年くらい前から言われていて、それに対して有効的な解決策があまりできなかったというのもまた事実であったりする。博物館の資料を使って回想法や何やらを展開する、ていう流れができたのはよかったけど、当時は新しかったけど今はマンネリ化している部分もあるし、あれは使い方というか、持って行く資料との相性が結構あるのも課題かと。

「その道具を知らなきゃ思い出したくても思い出せない」ていう単純な理由。町で育った人にクワを見せても、クワを知っていても使ったこと無かったとしたらそれに関する思い出とか出てこないわけで。

博物館資料の活用としてはいいなと思ったんだけどね。

で、今回あがった民俗資料って何が問題かっていうと、「同じものをたくさん集める」という特徴があるのよね。同じように見えるけどよく見たら違うとか、違う地域なのに同じ部分があるのはどうしてだっていう。そういう世界。クワにしてもスキにしても、その特徴が地域によって大きく変わってくるんだけど、それを見ていくためにはとにかくたくさん集めて分類して、ていうのが必要になる。

大化の改新は身近にあった: 公地制・天皇・農業の一新 (和泉選書 179)

なんだけど、なんだけど。

専門じゃ無い人からいえば「ひとつだけあれば十分」みたいになる。だって同じ形、同じ機能なんだもん。似たようなこと、過去にいたところでも言われたよ。行政職の人が係長とかになると、専門的な話よりも一般論で否定されることが多かった。

でも、「ひとつあれば良い」という割には、抜けるのが「どれを残すの?」ていう観点。A地域のかB地域のか、と地域でセレクトするのか、単に資料状態の善し悪しで判断するのか。地域の小さな資料館ならまだしも、県レベルになるともう大変だよね。なんでその地域のは残してこっちは残さないのかとか、いろいろ言われることになる。状態がいいのはもしかしたら単純にあまり使われていなかったとか、土が軟らかい地域で道具に対してのダメージがあまりなかった、反対にボロボロの方はずっと使い込まれていたとか、土が硬くて壊れたのを何度も直しながら使ったとか、そういう道具に関する情報とセットで考えないと意味が無い。

ていうややこしい話があるんだけど、そういうのはそっち、学芸サイドで考えてね、みたいなことになりがち。

投げられた球をどう返すかで資料の運命が決まるからものすごくしんどくなる。

こういうとき、考古学の遺物は良いなあと思う。だって、破片だからコンテナに収まるし、コンテナ積んでいれば一応整理されたように見えるから。

天昇 テンバコ 13 グレー

こういうのに入れて積んでおいたりする。正式名称はテンバコというらしい。

www.daiichigosei.co.jp

民俗資料はそうはいかない。形が複雑だし、でかいし、嵩張るし。金属と木材とか複合素材でできているのも管理をややこしくしている。

一方で、実物が無くなってしまうと、当時の様子なんてのが分からなくなる。デジタル化や3Dスキャンして保存する方法もあるけど、「資料の真正性」みたいな部分とも関連してくるのでかなり難しい。絵画なら「やっぱホンモノだよね」みたいなことになるのにね。

それで、これからももっと問題になるのが、昭和40年代50年代以降の資料をどうするかってこと。わたしはこれらも大きく捉えて生活道具と考えて、民俗分野の人間が対応してもいいんじゃないかと考えている。

こういう雑誌見ても、いろんな道具があることがわかる。

で、家電製品とか身の回りの道具、モノなんかがたくさん出回っている時代の資料を、どのように収集・収蔵していくか。ヘタをすれば、この先「情報はあるけど現物が無い」なんてものが多数を占めるようになるかもしれない。

不要になった道具は捨てる運命なので。

「カモメホーム洗濯機」のような尖って時代を作ったもの(だけど主流になれなかったもの)はマニアや何かしらの経緯で残るかもしれないけど、そうじゃないごく普通の家電、主流になったものとかって果たしてこの先残るのだろうか。当たり前にありすぎて残らない気もする。

結局は、ほぼエンドレスに増えていくモノ資料に対して、どこでどう折り合いを付けるかって話。理想理念としては、自分が死んでも、数百年先の人間が「令和時代はこんな道具を使っていたのか」というのが分かるようにしたい。たぶんこれは博物館に勤める人間であれば同じようなことを考えている。次の世代に残していくには、みたいな。

でかい収蔵庫を作って終わりという話ではない。でかい収蔵庫を作っても、いつかそこは満杯になるし、そこをどう活用していくかっていうのも問題。作業する人間を増やすか?この財政難、人口減少の折に?非正規のフルタイム雇用という今の悪習を続けるの?ていうのとも関係してくるから、話は簡単では無い。

この先も各地で似たような「問題提起」がなされて、その後ひっちゃかめっちゃかになって、結局何も残らなかった、もしくは結局議論も進展しないまま(問題に目をつぶったまま)次の代に先延ばし、とかなりそうなのがちょっと怖いんだよな。

残す事を前提で、じゃあどうするかってのを考えたい系人間なんだけど、結論は簡単に出そうにない。

【ブログ運営】ブログメンテナンスしたいけど

はてなブログ Perfect GuideBook [改訂第2版]

定期的にブログメンテしたいんだけど、その暇もタイミングもないというの、なんとかしたいなあと思いつつ早数ヶ月。以前も書いたけど、このブログはアクセス数がおかしくて、多いときと少ないときの差が顕著なんだよね。相変わらず謎の構成というか、botか何かがめくってんのかなあって。

よく分かんないんだけどね詳しくは。

それでちょっと綺麗にあれこれ整理したいなというのが以前からの希望なんだけど、何をどうしたらいいかちょっとよく分かっていない。まずはアクセス数を極端なかたちで無く、なだらかにしたいんだけど、これはどう対策したらいいのか。

変な記事だけバズっているのは確かなんだけど、それがなぜ数日に1回アクセス数が増えるのか、そもそもどういうキーワードでどこからアクセスされているのかまったく分からない。サーチコンソールを改めて確認した方が良いのは確かだが、家でじっくり確認したいけどできそうにない。

自室で作業できないから…マジで困るわそういうの。どうにかならんかなほんと。

ともかく。ちょっと記事数やら何やら確認・調整したいところだわ。

どうなってるんだこれ。

古巣の現在の状況を知る

たまたま以前勤めていたところの人と会うことが会って、互いの近況とか現在の職場の状況とか聞いたんだけど、まあわたしがいたときより大きく変わったよなあっていう印象しかなかった。

いや、わたしがいたときのままとかだったら、それはそれでかなり嫌なのだが。

相変わらずのところと、そうでないところと、新しく変わったところと、いくつかかいつまんで話してもらったが、わたしいたときより「平和」になっていたのが正直うらやましいと思った。だからといって戻る、という選択肢は無い。収入の面もそうだし、すでに新しくできた対人関係の中に割って入るようなことはしたくない。というかできない(当然だが)。

なので、いろいろ思うことはあるけど「そうなんだあ」程度で留めておく。

ただ、バチバチなとことが相変わらずバチバチらしくて「それは…それはもうどうにもならないな…」としか言いようが無かった。わたしがいたときからバチバチがあったんだけど、それが今もあるという話でちょっと驚く。驚くがまあそういうもんだよね。組織とはいえ、最終的には人対人だし。大丈夫かなあという感想はあるけど、離れてしまった自分としてはそれくらいしかできない。

何というか、そうやって変わっていくんだな。複数年いるのも大事だけど、「水が腐る」前に移動できて自分も良かったし職場も良かったんじゃ無いかなと。

今はそういうことだけ思っておく。

仕事のレクチャーを人様にするのって大変

はい。学芸員だけど片足を教育現場というものに突っ込んでるので、年に数回「こんなことをするんですよ」説明会も担当している。慣れるまではちょっと大変だったけど、前職前々職で鍛えた?アドリブ力とかそういうのを駆使してなんとか乗り切れるようになってきた。

まあ、涼しい顔しながら「うっどうしよう!」と焦ってるんだけどさ。

それで、自分の仕事とかそういうものを説明するのって割と大変だと毎回思うわけ。

何が大変かって、教科書とかに載ってないことの方が多いし、その現場での話ってのをいかに盛り込んでいくかっていく話の組み立て方が難しい。自分でも「あー、わたしこういう仕事してたんだっけか」みたいなこともあるので、全容なんて把握できそうに無い。

展覧会、調査研究と教育普及、みたいな花形だけできてるように思われたらちょっと困る。現場はもうちょっと泥臭くて、チラシのデザインから配布、資料清掃から写真撮影、庭木の整理とかそういうものまで対象になる場合もある。一度屋根の補修とかやったな台風の日に。

っていう話をすると大概驚かれるんだけど、わたし自身も驚いてるから変な職業だと思う。

特に小さい博物館/資料館にいると、ひとりであれこれする必要もあるし、なんなら若い男手がわたしだけ、という場合もあるから大工仕事から重い荷物運びから、いろいろ頼まれることが多い。職業的に変な構造になってるところもある。

まあそういう雑芸員みたいなことをしゃべらなきゃならないわけだわ。相手はいまひとつピンときてない感じの時もあるけど。「それは環境が悪かったのでしょう?」みたいな。いやーそれはそうなんだけど、そういうところもあるよという話で。「わたしはそんなところ行きませんけど」というのが相手から見え隠れする時もあってちょっと辛かったりする。

程度の差はあれ、似たようなところ多いんだけどなあ。ほんの一握りの立派なところを事例にされると話がそこで終わってしまうわけだが。

言いたいことは山ほどあるんだけど、言ったら大変なのでこの辺でやめとこう。

ともかく、そのレクチャー業のためにパワポ作って説明の練習して、ていうのを土日やっていたんだけど、毎年毎年追加するものが増えてしまい、まるで秘伝のスープあるいは秘伝のタレのような雰囲気を出している。あれ秘伝ていうけど実際のところはほぼ新しいのに置き換わってるっていう話だよねっていう余計なことは置いといて、パワポが継ぎ足し継ぎ足しなのでだいぶ重くなってしまった。動画まで入れたら8GBあったけど、別パソコンで開いたら「ファイルが破損しています!」とかふざけたことを言われてしまった。仕方ない、動画省いて別の場面で見せよう。当日の直前に確認しなくてよかった。

そんな感じで準備していたとしても、伝わってなかったりするから難しい。参加者の半分くらいが話をわかってくれればいいかなと、そのくらいの気持ちで臨もうと思う。